『ウォール街の物理学者』を読みました。 この本に効率的市場仮説のことが書かれていて少しだけ理解が深まった気がしたので書きました。
この本は少し前に読んだ『禁断の市場』に近い内容もありました。 著者が物理学者、数学者なのでそういう印象を持ったのかもしれません。 『禁断の市場』にも出てきたバシュリエ(バシェリエ)のランダムウォーク理論とかの説明もありました。
次のリンクは『禁断の市場』を読んだときに書いた記事です。
効率的市場仮説
効率的市場仮説です。
わたしの知っていた効率的市場仮説は次のようなものでした。
効率的市場仮説とは、市場価格はいかにして決まるのかと、そのプロセスによって引き起こされるであろうことを説明する理論であり、過去半世紀にわたり市場と投資に関する学術研究の基礎となってきた。 この理論は、リスクの測定、ポートフォリオの最適化、指数への投資、オプションの価格付けなど、実質的に投資の極めて重要な側面の土台をなすものである。 効率的市場仮説はまとめると次のようになる。
- 売買された資産の価格にはすべての情報がすでに織り込み済みである。
- 資産価格は新しい情報が出ると瞬時に変わる。
- したがって、市場価格は完璧であり、市場がすでに知っている情報を使って市場を打ち負かすことはできない。
マーケットの魔術師 ペーパーブック版への序文
“すべての情報がすでに織り込み済み”とか“新しい情報が出ると瞬時に変わる”とかって、感覚的に理解した気になって読んでいました。 でも「どういう感覚で“瞬時に”って言ってるの?」っていう思いもありました。
だって、米雇用統計の結果が良かったときに、米ドル/円が上がることがありますけれども、動くときは“瞬時”じゃないですよね。 その経済指標の影響が大きいときほど 5 分後には上がっているし、 10 分後にはもっと上がっているし、 1 時間後にはもっと上がっているし。 米雇用統計の発表前の米ドル/円の価格が 110.80 だとして、 2 時間後の価格が 111.20 だとして。 これは“瞬時”じゃないと感じます。 2 時間もかかっているのですから。 本当に“瞬時”だったら、発表から 1 秒後(あるいは 1 ミリ秒、 1 マイクロ秒、 1 ナノ秒、 1 ピコ秒、 1 フェムト秒、 1 アト秒、 1 ゼプト秒、 1 ヨクト秒)には 111.20 になっていないとおかしい気がします。 それは刹那な時間の単位・概念で言ってるの? そうじゃなきゃ、“瞬時に”って言っちゃいけないんじゃないの?って思いました。
この本を読んだら、どういう考えから“すべての情報がすでに織り込み済み”とか“新しい情報が出ると瞬時に変わる”と言っているのか、理解が深まった気がしました。
そうだとすると、相場の動きはやっぱりランダムになるはずだ、とバシュリエは考えた。 ためしに、相場を動かすもっとも重要な瞬間について考えてみよう。 株や債券の売買が成立する瞬間だ。 売買が成立するということは、つまり二人の人間(売り手と買い手)が、ある価格で合意するということだ。 売り手も買い手も、手に入る情報をきちんとチェックしたうえで、どれくらいの価格が妥当かを判断する。 ただし、ひとつ見逃してはいけないことがある。 買い手がその値段で株を買うのは--少なくともバシュリエの議論によれば--株価がこの先もっと上がると思っているからだ。 そして売り手がその値段で株を売るのは、株価がこの先もっと下がると思っているからだ。
この議論をさらに一歩進めると、こういうことになる。 情報に通じた投資家たちが、それぞれ妥当だと思う価格で合意しているとすると、現在の相場は現時点でのあらゆる情報を織り込んだ価格だと考えられる。 あらゆる情報を考慮したうえで、ある人びとはこれから株価が上がるほうに賭け、ほかの人びとはこれから株価が下がるほうに賭けている。 その両者がちょうど釣りあうところが、現在の相場だ。 つまり、ある時点での株価というのは、あらゆる情報を加味した結果として、上がる確率と下がる確率がどちらも五〇%になる価格になるのだ。
このようなバシュリエの市場観が正しいとすると、ランダムウォーク仮説はきわめてまっとうだということになる。 市場のしくみからして、株価は必然的にランダムに動くのだ。
こういう考え方は、いまでは「効率的市場仮説」として広く知られている。
ウォール街の物理学者 第 1 章--パリの孤高な天才
米雇用統計の例でいうと、 5 分後の価格は、その瞬間にその価格が妥当だと思う、売り手と買い手によって合意された価格です。 10 分後の価格は、その瞬間にその価格が妥当だと思う、売り手と買い手によって合意された価格です。 10 分後の時点で取引をした売り手と買い手は、 5 分後の時点ではまだ妥当だと思わなかったから取引しなかったわけです。 だから、そう考えると、その瞬間、瞬間に、“現在の相場は現時点でのあらゆる情報を織り込んだ価格”になっていると言えるんだと思えました。
考え方の順番として、まず、効率的な価格があって(その価格がいくらなのかはわからないですけれども)、そこに向かって現在の価格が動いている、というのは効率的市場仮説の考え方にはならないように思いました。 価格を先に考えてしまうと違うようです。 そうじゃなくて、まず、売り手と買い手があって、それぞれが妥当だと思う価格で合意しているのだから、その価格は“結果的に”いつの瞬間においても効率的なものになっているでしょう、というのが効率的市場仮説の考え方になるように思いました。
私の信条とは、
一 マーケットは、予測不能(ランダム)ではない。効率的な市場を前提に論じた学者を並べたら、地球と月を往復する距離になったとしても、である。彼らは、単に、間違った前提で論じているに過ぎない。
新マーケットの魔術師 序文
この記事を書いている 2018 年の現在は(引用した新マーケットの魔術師が書かれたのは 1992 年ですけれども)、効率的市場仮説は間違っているという主張の方が多い印象です。
情報に通じた投資家たちが、それぞれ妥当だと思う価格で合意しているとすると、
“情報に通じた投資家”ばかりじゃないところが市場は効率的じゃないところでもあるのかな。 これが間違った前提なのかな。
終わり
市場はきっとそこまで効率的ではないし、ときには相場が実際の価値からかけ離れてしまうこともある。 それでも、効率的市場仮説が市場を理解するための大事な足がかりであることには変わりない。 効率的市場仮説はあくまでも仮説であり、ものごとを単純化した考え方だ。 たとえて言うなら、高校の物理学みたいなものだと思ってもらえばいい。 高校レベルの物理学は、摩擦も重力もない世界を前提にしている。 もちろん現実にはそんな世界はないけれど、シンプルな前提をおくことによって、厄介な問題を扱いやすい形に変えてやるのだ。 その状態で問題が解けたら、今度は単純化した前提がどれくらい大きなまちがいにつながるかを考えてみる。 たとえば氷上でアイスホッケーのパックをぶつけたらどうなるかという問題であれば、摩擦を無視したところでそれほど大きな影響はない。 でも自転車で転んだときにどうなるかを摩擦抜きで考えていると、体じゅうにひどいすり傷ができてしまう。
ウォール街の物理学者 第 1 章--パリの孤高な天才
批判はあるかもしれないですけれども、効率的市場仮説は大事な足がかりだったようです。
「モデルとは、現実を大まかに捉えるための道具である」と彼らは言う。 数理モデルはけっして万能ではない。 不完全な前提に基づいたものだし、場合によってはまったく見当はずれなこともある。 モデルを有効に使うためには、しっかりとした常識をもち、そのモデルの限界を把握しておくことが必要だ。 このことは数理モデルだけでなく、世の中のあらゆる道具にあてはまる。 工事用の大型ハンマーで自宅の壁に絵を打ちつけようとすれば、結果は悲惨なことになる。
ウォール街の物理学者 エピローグ--経済の未来を救うために
モデルの限界を把握して有効に使うべきなようです。
今、効率的市場仮説なんて間違った考えを知ったところで意味があるのか?とか思ったりします。
新たなモデルが登場し、そのモデルが機能しない状況が明らかにされ、それを踏み台にしてより強固なモデルが構築されていくのだ。
ウォール街の物理学者 エピローグ--経済の未来を救うために
不完全な道具だからこそ、限界を知ることで、もっといい道具を作ることができます。 完璧なものなんてないのだから。